山吹にはこんな人物がいたのか、なんて見方をしてもらえると嬉しい。

1.ただの思い出

私が入学するとき、当時の新宿山吹高校は高い倍率で中学の担任から「やめたほうがいい」
と言われていた。
しかし、何を思ったのか強行して受験したのだ。
そして今、新宿山吹高校のパソコン室でこの文章を執筆している、今周りを見るとカジュアルな雰囲気の所だ。
私は入った当時の感情をちゃんと覚えていないが新しい環境に期待したいような、期待してその下の環境だったら嫌だなとか、そんな事を考えていたと思う。
幸いにも、友人に恵まれここまで楽しく過ごせている。
当時最初にクラスメートと触れ合った記憶があるのは「ウォークラリー」である。
流行り病が猛威を振るっている昨今では開催がされていないが、簡単に言えば学校の周辺探索であった。
それを5人1組で各地で待っている先生を周ると言ったような内容だ。
正直、この時は一切グループとしては馴染めなかったなという印象だ。
1人話の合う子と仲良くなったが、所謂ライン交換とかはスムーズに出来ていなかった。
1人で居ることが多かった当時はこんなもんかなと、まぁ1人で生活するのも悪くないなとか考えていた気がする。
ただその後の授業やホームルームなどで、いつの間にか仲良くなっていた。
2年目のクリスマスにクリスマス会なんかが開かれるぐらいクラス全体の仲が良かった。
午後の時間の生徒になればなるほどクラスでの繋がりは強かったように感じる(私が4部生だったからかもしれないが)


2.新宿山吹高校と山吹生

そんな生活を送った私目線での山吹生のイメージは多様性だ。
本当に多様な人物がいる。
私の友人周りだけでもギターを自主制作して美大に行くような人や、高い偏差値の大学に行くような人、心理士を目指して大学に行く人、音大に行く人、単位が取れずに一生山吹にいる人(私もそっち側の人間である)、かく言う私もダブルスクールでCGクリエイターを目指して個人で就職を目指したりしている色物である。

この学校にいる人物は型なんて物はないようにすら感じる。
この山吹を通して進めない道なんてないんじゃないかとも思う。
ただ進む道は自分で選ばないといけない、誰も学校内で選んではくれない。
自分にしっかりと個がないといけない学校だ。
多様な人がいるからこそ、影響されるし、影響させる、多面的な視点も得られる。
そういうのが好きな人は是非、この学校の自動ドアを抜けてきてもらえると良いんじゃないかと思う。
基本的に秀でた人物と相性が良い高校だ、自分で時間を作れて自分で進める。
しかし私は自分を「周りに馴染みきれない半端もの」なんて思ってる人にこそ、この学校に来てほしいと思う。
私自身がそう思っていたが、半端で何が出来るのか、本当に秀でた人間を見て何が出来るのかを考える事が出来た。
中学や高校からの編入、社会を経験してから山吹に入る方、多様な方がいるだろう。
ただ過去だったり、経歴だったりを気にせず入ってほしいと思う。